父へ、母へ
仏教の世界では、四十九日までは、今界と霊界の間をさまよっていて、四十九日で霊界へ向かい始めるのだそうです
母は父に会えたかな
そんな四十九日法要が終わりました
一区切りということで、父と母への思いを残しておきたいと思います
父へ、母へ
テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器と言われたころ、わたしは生まれました
戦後十数年、まだまだ貧しい時代だったけど、両親の愛に包まれて、とっても幸せでした
不幸だなんて思ったこと、一度もなかったよ
遺品を整理してて見つけたもの、…わたしの2歳の誕生日に父が書いてくれた、バースデーメッセージカード
「Happy Birthday
Clever、Health, Well」
って、英語ばっかりのカード
昭和の堅物親父だと思ってた父が、実はモダンボーイだったなんて、再発見です
小学校のころ、母が運転する自転車の後ろに乗ってて転んだことがあったね
びっくりして泣いちゃったわたし、
膝をすりむいて、血を流してるわたしをみて、あわてて病院行ったよね
ひと通り治療してくれた先生が、母をみてびっくりして叫んだ
「お母さん! お母さんのほうがよっぽどひどい!」
見ると、母の膝がパックリ開いて、血がダラダラ流れてた
結局、母は何針も縫ったんだよね
いつもそうだったね
母は、何を置いても、自分のことよりわたしのことを最優先してくれた
そんな母に、一度だけ殴られたことがあったね
母子家庭で母親の帰りが遅い友達の家に学校の帰りによったとき、なかなか帰してくれなくって、当時は電話もなく、連絡できなかったとき、必死でわたしを探してくれた母
わたしを見つけたとき、「もう!心配させて!」って思いっきりぶたれたね
びっくりして母を見たら、ボロボロ泣いてたよね
あの痛さはいまでも忘れません
高校進学の、進路で担任ともめたとき、父も母も、全面的にわたしの味方わしてくれて、守ってくれたよね
ずっと口うるさかった父、
早くこの家を出ていくんだって思ってたのに、社会人になったとたん、何も言わなくなって、居心地がよくなって、長い間家にいたよね
できるだけ長く、父と母のもとにいたかったよ
結婚して、息子たちが産まれて、子供が大好きな母に、孫をみせることができて、少しは親孝行できたかな
子供たちが小学生のころ、いっしょに暮らすことができて、きっと喜んでくれたよね
父の最期、肺炎をこじらせ、延命の呼吸器をつけて、だんだん意識がなくなってきたころ、
先生に、これ以上延命措置をしても、苦しいだけなので…って言われたとき、
どうしようか悩んでる私に父ははっきり意思表示したよね
もういいって…
これをはずせって…
潔いい、りっぱな生き方だったと思うよ
歴史好きで、小さい頃に世界地図はったり、地球儀買ってきたり、の、父のさりげない教育は、しっかり次男に受け継がれているよ
何をするのもいつもいっしょだった父と母
父が亡くなってから、母はガクッと落ち込んで、家に引きこもってしまったよね
わたしがまめに実家に行ければよかったんだけど、なかなか無理だから、わたしの家の近くに呼び寄せた
年をとってからの新しい街は、友達もいないし、さびしかったんじゃないかな
呼んで正解だったのかな?
今でもわかりません
でもきっと、わたしが近くにいたから、安心してくれてたよね
いつもいつもわたしを最優先してくれてた母
最期も、わたしがインフルエンザが治るのを待って、わたしが元気になるのを待って、スーッといなくなったんだね
最後の最後まで、わたしを最優先に考えてくれたね
そんな母の生き方、尊敬します
わたしも、そんな母親にになれているのかな
息子たちに、愛情たっぷり捧げているかな
仲がいいふたりだったから、またいっしょに並んでいるかな
またふたりで、いろんなとこ、デートしてるかな
これからは、天国で見守っていてね
おとうさん、おかあさん、
愛情たっぷりで育ててくれて、ありがとう
愛をいっぱいありがとう
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